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カテゴリ
/甲州文庫
請求記号
甲096.8-175
書名
河原部河岸御願立箇条書
カワラベガシオンネガイタテカジウガキ
著者名
伊右衛門/作
出版地
小田川村(山梨県)
出版者
伊右衛門/イエモン
出版年
弘化 3年
1846年
形態
形態1:竪 形態2:原 大きさ:27 枚数:17チヨウ
注記
解説:富士川舟運を経由した駿州の物資は、鰍沢河岸で一度積み降ろされて、その多くは中馬(ちゅうま)によって、鰍沢宿から甲州道中の韮崎宿で結ばれていた。韮崎宿は、河原部村(かわらべむら)の中心にあり、甲州道中と佐久及び駿信往還が交差する地にあった。この史料は、河原部村に河岸(かし)をつくり、鰍沢宿との間の舟運を計画した文書の写しである。
内容紹介
詳細解説:徳川幕府の命により、寛永12年(1607)、角倉了以が富士川を開削して、鰍沢と駿河の岩淵までの舟運が始まると、物資の大量輸送が可能となり、甲州及び信州の物流経済は大きく発展した。当然そこには運送業や地域経済の振興にとって、計り知れないメリットがあったはずである。富士川舟運を経由した駿州と信州との物資の流通は、鰍沢河岸で一度積み降ろしされ、その多くは中馬(ちゅうま、馬を利用して物資を輸送した形態)によって、駿信往還(信州往還ともいう、鰍沢宿と甲州道中の韮崎宿を結ぶ脇街道)で結ばれていた。河原部村(現・韮崎市)では、鰍沢からさらに釜無川を上って河原部村まで通運を計画した。本史料は弘化3年(1846)のものだが、これによると、かって河原部村は船山頭に河岸を立てて米・売荷物を輸送したこと、三俣落合に廻米の河岸を立てたとある。本史料が示すように、河原部村が通船営業を願い出ることは既得権益を侵される鰍沢・青柳・黒沢河岸はじめそれに結びつく業者から反対されるのは当然であった。
キーワード
韮崎市,河原部村,廻米,小田川村,釜無川,河原部河岸,運送,交通,年貢,舟運,河岸,船着場,弘化3年,土木
資料番号
0400188447
甲州文庫区分
古文書
本資料のURL
/da/detail?tilcod=0000000021-YMNS0121609
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