カテゴリ /甲州文庫
請求記号 甲096.8-192
書名
和宮下向助郷取調に付申上書
カズノミヤゲコウスケゴウトリシラベニツキモウシアゲシヨ
著者名
高萩村/ほか作,長百姓半左衛門/作,名主久右衛門/作,百姓代長右衛門/作
出版地 高萩村(山梨県)
出版者 高萩村/タカハギムラ
出版年 万延 2年
1861年
形態 形態1:状 形態2:原 大きさ:27 288 枚数:1ツウ
注記 解説:万延元年(1860)の桜田門外の変のあと、朝廷と幕府が協力して事態の収拾がはかられた。文久元年(1861)、孝明天皇の妹和宮は、徳川14代将軍家茂との婚姻のため、10月20日、京都を立って中山道を通行する。この一行のために諸役免除の九一色郷にも助郷が言いわたされるが、これの免除を訴えた文書である。
内容紹介 詳細解説:現在の三珠町と芦川村に属する九一色郷4ヵ村は、武田氏・徳川氏と続いて諸役を免除されてきたが、文久元年(1861)、和宮が江戸に下向する際、臨時の加助郷として、中山道の追分・沓掛・軽井沢の三宿に臨時の加助郷を命ぜられた。本史料は、九一色郷4ヵ村がこれまでと同様に諸役を免除されたい旨を願出た書付である。万延元年(1860)桜田門外で井伊直弼が尊王攘夷派に暗殺されたことは、幕府独裁の路線が破綻したことを意味し、幕府当局と外様の大藩である薩摩藩が中心となり、朝廷と幕府が協力して事態の収拾をはかる、いわゆる公武合体政策が推進された。ときの孝明天皇はじめ朝廷側は、外国を排除する攘夷を条件にこの政策に同意し、その証しとして天皇の妹の和宮は有栖川宮との婚約を破棄して、14代将軍家茂との婚姻を受入れ、10月20日京都を出発した。その一行が大人数であったため、各宿では常備の人馬では間に合わず、大々的な助郷が行われ、甲州国中の村々に、高100石につき人足20人、馬2匹の重い当分助郷(仮助郷)が課せられた。
キーワード 三珠町,助郷,和宮,高萩村,中山村,九一色郷,印章,交通,鶯宿村,諸役免除,三帳村
資料番号 0400188868
甲州文庫区分 古文書
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