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カテゴリ
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/甲州文庫
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請求記号
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甲096.8-199
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書名
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河原部村新船通船故障申立願書
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カワラベムラシンセンツウセンコシヨウモウシタテガンシヨ
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著者名
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出版地
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甲府
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出版者
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各町名主/カクマチナヌシ
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出版年
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弘化
2年
1845年
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形態
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形態1:竪 形態2:原 大きさ:28 枚数:6チヨウ
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注記
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解説:駿州と信州との物流は、富士川舟運を利用するが、鰍沢河岸で一度積み降ろしされて、その多くは中馬によって駿信往還で結ばれていた。韮崎宿をかかえる河原部村(かわらべむら)では、鰍沢から釜無川を上って河原部村まで船による輸送を何度か計画した。本史料は、弘化2年(1845)、甲府の名主たちが、河原部村が釜無川から駿州岩淵まで船を通すことは、甲府への物資や人々の流入が減るので、反対である旨を表明している史料である。
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内容紹介
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詳細解説:徳川幕府が開かれて間もない寛永12年(1607)、角倉了以が富士川を開削して、鰍沢と駿河の岩淵までの舟運が始まる。それまで専ら馬の背によっていた物資の輸送は、大量輸送が可能となり、甲州及び信州の物流もおおいに発展することになった。それにより運送業や地域経済の振興にとっては、計り知れない利益が約束されていた。駿州と信州との物流は、富士川舟運を利用するが、鰍沢河岸で一度積み降ろされて、その多くは中馬(ちゅうま、馬を利用して物資を輸送した形態)によって、駿信往還(信州往還ともいい、河内路の鰍沢宿と甲州道中の韮崎宿を結ぶ脇街道)で結ばれていた。河原部村(現・韮崎市)では、利益の多い鰍沢から釜無川を上って河原部村まで船による輸送を何度か計画した。本史料は、弘化2年(1845)のものだが、これによると、甲府の名主たちは、河原部村が釜無川を使い、駿州岩淵まで船を通すことにより、甲府は物資や人々の往来が減って衰退するため、河原部村の通船計画に反対の意志を表明している史料である。
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キーワード
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甲府市,甲府,河原部村,甲府代官所,運送,交通,弘化2年,船,岩淵河岸,舟運,河岸
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資料番号
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0400189007
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甲州文庫区分
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古文書
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