カテゴリ /甲州文庫
請求記号 甲096.8-200
書名
御茶壺賄役人割町触綴
オチヤツボマカナイヤクニンワリマチブレツヅリ
著者名
坂田与一左衛門/作
出版地 甲府
出版者 坂田与一左衛門/サカタヨイチザエモ
出版年 延宝 9年
1681年
形態 形態1:綴 形態2:原 大きさ:16 27 枚数:1サツ
注記 解説:茶壺道中は、幕府が宇治で摘んだ新茶を茶壺に納めて、江戸に送る年中行事であった。17世紀後半の約30年間、宇治からの復路は中山道を経て、下諏訪から甲州道中に入り、谷村の勝山城の風穴へ茶壺を格納した。毎年暑い盛りは富士山の冷気を受け、10月上旬に江戸城に入った。この本史料は、茶壺道中に際して、甲府の宿に細部にわたった住民の心得や規制が出されたことを示すものである。
内容紹介 詳細解説:甲州道中を利用して江戸へ参勤する大名は、信州の小藩3大名だけであり、従者の員数制限もあり質素であった。その代りの公用通行を特色づけたものの一つに、威儀を正した茶壺道中があった。茶壺道中は、幕府が宇治で採茶された新茶を茶壺に納めて、年間に飲用する茶を江戸に送る年中行事であった。この行事が制度化されたのは寛永9年(1632)といわれており、江戸・宇治間往復共に東海道を利用することが多かったが、万治3年(1660)頃から元禄3年(1690)頃までの約30年間、宇治からの復路は中山道を経て、下諏訪から甲州道中に入り、谷村の勝山城の風穴へ茶壺を格納した。これは毎年5月中か6月初めごろであって、暑い盛りに富士山の冷気を受けた茶壺は、涼風の立つ10月上旬に受取りの役人によって江戸城に入った。茶壺道中という語感からのどかな風物詩に聞こえがちだが、この道中は、権威を笠に着た役人の横暴な振る舞いや、農繁期の沿道の村々の負担、また、本史料が示すように茶壺道中が近づくと、甲府の宿には細部にわたる住民の心得や規制がなされたことを考えると、甲州の民衆にとってはさながら迷惑千万であったといえよう。
キーワード 甲府市,坂田与一左衛門,八日町,柳町,甲府,茶,茶壷道中,交通,定書,天和元年,町触
資料番号 0400189015
甲州文庫区分 古文書
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