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カテゴリ
/甲州文庫
請求記号
甲096.8-231
書名
人馬賃銭割増仰渡に付請証文
ジンバチンセンワリマシオオセワタシニツキウケシヨウモン
著者名
甲州道中助郷村々/作
出版地
出版地不明
出版者
甲州道中助郷村々/コウシユウドウチユ
出版年
天明 3年
1783年
形態
形態1:状 形態2:原 大きさ:33 143 枚数:1ツウ
注記
解説:天明3年(1783)7月の浅間山の噴火により、中山道が通行困難のため、甲州道中(街道)の通行が多くなり、宿駅及び助郷(すけごう)村々の負担が増加した。この史料は、宿及び助郷の負担を軽くするため、人馬賃銭の2割増が認められたことに対する請書である。
内容紹介
詳細解説:街道の宿駅は、公用通行を目的とした施設であり、宿駅で用意する人馬を利用できるのは、公用旅行者とその荷物や公用の書状などであった。その中には、無賃で利用できたものと幕府が決めたいわゆる「御定賃銭」の有料のものとがあった。御定賃銭は各宿場の高札によって次宿までの賃銭が公示され、また、この賃銭は、公用外の一般通行者にも適用されたが、物価騰貴や貨幣価値の下落などで、一般通行者を御定賃銭で輸送する者がなくなり、相対賃銭に移った。しかし、公用通行は、相対賃銭より安い御定賃銭によらなければならなかったため、公用通行が増せば増す程、宿や助郷の負担は増して困窮のもととなった。そこで幕府は、期間を定めて御定賃銭の割増を認め、期限がくれば元にもどしたが、時代の推移とともにこの割増は、恒常化の傾向をたどった。本史料は、明和年間(1764~1771)頃から、中国・四国方面への御用の通行や諸家の往来が増え、さらに天明の飢饉の原因ともなった浅間山の山焼け(噴火)によって中山道の通行が困難となり、甲州道中の利用が多くなったことへの各宿場の対応が示されている。
キーワード
甲州道中,浅間山噴火,運賃,街道,交通,災害,中山道,宿駅,人馬賃銭,割増料,天明3年,浅間山,火山
資料番号
0400189742
甲州文庫区分
古文書
本資料のURL
/da/detail?tilcod=0000000021-YMNS0121629
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