カテゴリ /甲州文庫
請求記号 甲096.8-403-7
書名
飯盛女病死届と医師容躰書
メシモリオンナビヨウシトドケトイシヨウタイシヨ
著者名
脇本陣幸三郎/作,旅篭屋茂七郎/ほか作,本陣庄太郎/ほか作,名主宗三郎/作
出版地 甲府
出版者 旅篭屋茂七郎/ハタゴヤモシチロウ
出版年 明治 2年
1869年
形態 形態1:竪 形態2:原 大きさ:25 枚数:3チヨウ
注記 解説:この史料は、甲府柳町宿の飯盛女「とき」の、病死にかかわるものである。医師の死亡診断書をつけ、宿駅役人3人を証人に、甲府政衙(役所)にあてた文書である。無宿になった理由も不明だが、彼女は、柳町の8人の旅籠屋が引受けた時には、すでに罹病しており、一ヶ月も経たぬうちに死亡した。死因は労疫傷寒というから、貧困と栄養不良による結核ではなかったかと思われる。
内容紹介 詳細解説:幕末維新の動乱は、公用継立の急増をもたらした。このため各宿場は、重い負担のため疲弊した。そこで、新政府は各宿場の救済と振興の一環として飯盛女の雇いを許可した。柳町にも飯盛女を置くことが認められた。当時の柳町宿は、甲州道中が八日町通りから柳町二丁目へと結ばれていたので、二丁目が目抜きで一丁目は場末で寂しかった。そこで、本史料に名を連ねた一丁目の旅籠屋8人は、明治2年(1869)から6年までに毎年百両づつの計五百両を献金すると願い出た。その魂胆は、場末で衰退の著しい一丁目の活性化を、この飯盛女の許可の永続によってはたそうとしたことはいうまでもない。このような背景のもと、本史料の甲府柳町宿の飯盛女「とき」は、無宿(住所不定)が理由で、飯盛女として柳町一丁目の旅籠屋に渡された。渡し主は口上書から甲府の町役人であろう。無宿になった理由も不明だが、引取人のないままこの一丁目の旅籠屋8人が引請けたのであるが、「とき」はすでに罹病しており、一ヶ月も経たぬうちに死亡した。死因は、労疫傷寒というから、貧困と栄養不良による結核ではなかったかと思われる。
キーワード 柳町,飯盛女,柳町宿,明治2年,病死届
資料番号 0400194676
甲州文庫区分 古文書
本資料のURL

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