ページの先頭です
本文へジャンプします
山梨県立図書館へ
山梨デジタルアーカイブ
文字サイズ
小
中
大
ここから本文です。
カテゴリ
/甲州文庫
請求記号
甲090-シヤ-9
書名
功刀亀内肖像
クヌギキナイシヨウゾウ
出版者
出版者不明
形態
形態1:写真 形態2:原 大きさ:43 枚数:1マイ
注記
解説: 甲州文庫を収集した功刀亀内氏は、明治22年(1889)山梨県中巨摩郡豊村(櫛形町)に生まれた。大正8年(1919)、郷土史家の土屋夏堂(つちやかどう)に出会い、史料保存の重要性を認識させられた功刀氏は、後に自身が「甲州文庫」と命名し、甲州の庶民資料として高い評価を得ることになる資料群の収集に没頭することになった。昭和32年12月30日、69歳で没。
内容紹介
詳細解説: 功刀亀内が生まれた功刀家は、代々蚕糸業を営んだ家柄で、その三男として育ち、のちに甲府で糸繭商となった。資(史)料収集家としての道をたどることになったきっかけは、大正期甲州財閥の雄だった若尾家によってすすめられていた『山梨県志』の編纂所に出入りするうちに、その編纂委員だった土屋夏堂(つちやかどう)に出会ったことだったといわれる。夏堂によって散逸しつつある古文書などの史料の重要性を認識させられた功刀氏は、以後取り憑かれたように甲斐国(山梨県)に関する史料の収集に没頭するようになったという。こうして集められた厖大な資料群は、昭和2年、氏によって「甲州文庫」と命名され、江戸期から明治以降にかけての甲州庶民の生活・文化の一大資料の集積と位置づけられるようになったのである。氏は甲府から東京に移った後も家業の蒲団業は家族まかせにして資料収集に熱中していた。 甲州文庫は太平洋戦争中は郷里の山梨に疎開して、戦災の難からも逃れ今日に伝えられた。そして、戦後の昭和24年甲府市で開催された「甲府市制60周年記念郷土史展」で山梨県にはじめて紹介され、人々を驚かせたのである。 それを機に、この貴重な資料を山梨へという声が起こり、それ
キーワード
肖像,甲州文庫,功刀亀内,写真
資料番号
0400215216
甲州文庫区分
写真等
本資料のURL
/da/detail?tilcod=0000000021-YMNS0121800
画像
画像を見る
高精細
ページの最後です
ページの先頭へジャンプします