カテゴリ /甲州文庫
請求記号 甲092.9-236-105
書名
駿州往還通馬附引請一札
スンシユウオウカンドオリウマツキヒキウケイツサツ
著者名
問屋仙右衛門/作,問屋八十八/作,古関村問屋/ほか作,問屋仁左衛門/作
出版地 古関村(山梨県)
出版者 問屋/トンヤ
出版年 文政 7年
1824年
形態 形態1:状 形態2:原 大きさ:27 34 枚数:1ツウ
注記 解説:駿州往還(すんしゅうおうかん)は、別名を河内路(かわうちじ)ともいい、富士川に沿って甲斐と駿河(するが)を結んだ古い道である。江戸時代には、この道を通って多くの魚や塩などが甲州に入っていたことが、この資料からうかがえる。
内容紹介 詳細解説:古くから、甲州と駿州とを結ぶ脇往還(本街道から分れ、又は本街道と連絡する道)には、御坂路(鎌倉往還)、若彦路、河内路(駿州往還)とこの文書に出てくる中道往還の四つの道があった。中道往還は、若彦路と河内路との中間にあったことから中道の由来があり、甲州と駿州とを結ぶ最短の道で、甲府から南下して笛吹川を渡り、右左口(うばぐち)峠を越え、上九一色の古関から最難所である阿難(あなん)の峠を越えると、精進・本栖の宿に入り、富士山麓の朝霧高原を通って、富士南麓の吉原宿で東海道に接続する。 甲府と吉原宿は20里(約80キロ)であり、その短さゆえに戦略的、経済的に重要な道であった。太平の江戸時代になると、鮮魚、魚干物、塩などのかなりの量の物資が、この道を通って入甲していたことが、本資料の宿問屋の引請証文からうかがわれる。なお、中道往還の宿場が、鰍沢などの富士川水運と競い合っていたことも、この史料から推察できよう。中道往還に関しては、山梨県教育委員会発行の山梨県歴史の道調査報告書第三集『中道往還』を参照されたい。
キーワード 運送,街道,駿州横往還,継荷物,文政7年,引請証文
資料番号 0400152435
甲州文庫区分 古文書
本資料のURL

/da/detail?tilcod=0000000021-YMNS0121151