カテゴリ
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/甲州文庫
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請求記号
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甲096.3-114-1
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書名
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糸荷物京都へ附送り書付
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イトニモツキヨウトエツケオクリカキツケ
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著者名
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出版地
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甲府
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出版者
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市郎右衛門/イチロウエモン
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出版年
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享保
16年
1731年
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形態
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形態1:状 形態2:原 大きさ:27 30 枚数:1ツウ
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注記
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解説: 江戸時代に、甲斐で生産された生糸を当時最大の絹織物産地であった京都へ送る際に、品物に添えて送る書状。この京都へ送る糸のことを登せ糸といい、各産地には生糸を送る登せ商人と、生産者から直接生糸の買い付けにあたる仲買人が点在していた。登せ商人は京都の糸問屋へ品物を送る際に、代金などを明記した書状を一緒に添えていた。
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内容紹介
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詳細解説: 貞享2年(1685)の幕府による糸割符の復活で、当時最大の絹織物産地である京都の西陣織の原材料であった白糸(中国産生糸)の輸入が制限されたことを機に、国内産生糸の生産が盛んになった。白糸に対して国産糸を和糸といったが、和糸はその大半が京都へ登せて販売したことから各産地ではこの糸のことを登せ糸といった。これは甲斐においても養蚕業・製糸業を発展させる契機になったのである。特に、甲府盆地の東部に位置する東郡では登せ糸の生産が盛んに行われた。この産地では糸買仲間商人として、京都へ生糸を送る登せ商人と、生産者から直接生糸を買い付けにあたる仲買人など大小の商人が地域に点在していた。登せ商人は自己資金に基づいて仲買人から集荷した生糸を、京都の糸問屋へ売り渡すことを仕事とした商人で、生産地の村役人クラスである上層農民の主な商業活動であった。このように甲斐をはじめ、各生糸産地による登せ糸の生産も最初は盛んに行われていたが、江戸中期ごろから和糸が新しい絹織物産地へ売られるようになると、西陣の織物屋では生糸の入荷が難しくなり、糸価格の騰貴に苦しめられた。これにより、京都の糸問屋の数も減少し、登せ糸商売の利益はしだいに低下していっ
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キーワード
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甲府市,三日町,蚕糸,京都,登せ糸,生糸,享保16年,糸荷物
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資料番号
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0400175592
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甲州文庫区分
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古文書
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