カテゴリ /甲州文庫
請求記号 甲096.8-55
書名
諸荷物継立議定連印帳
シヨニモツツギタテギジヨウレンインチヨウ
著者名
鰍沢宿魚問屋仲間/作,塩屋松蔵/作,駿河屋平八/作,早川粂左衛門/作
出版地 鰍沢宿(山梨県)
出版者 鰍沢宿魚問屋/カジカザワジユ
出版年 嘉永 7年
1854年
形態 形態1:竪 形態2:原 大きさ:27 枚数:12チヨウ
注記 解説:江戸時代の甲州と駿州の物資の流通は、甲州からは主に年貢米が鰍沢河岸から駿州岩淵まで送られ、岩淵からは塩・魚干物・生肴類などが三・四日かかって船で曳かれて登ってきた。この史料は、鰍沢魚問屋と駿州荷主が、数日かかって富士川を登る曳船ではもはや需要に応えられないため、五割増の賃銭で夜間の運搬を計画したものである。時代は刻々と封建社会を越えようとしていることがうかがえる。
内容紹介 詳細解説:甲州と駿州とを結ぶ脇往還(本街道から分れ、又は本街道と連絡する道)の一つである駿州往還は、戦国時代までは甲府から田富の布施を過ぎて笛吹川を渡り、岩間までは富士川の左岸を南下し、そこで富士川の右岸に渡って切石・下山・身延・南部・万沢を経て、駿河に至った。しかし、江戸時代になり徳川幕府の命を受けて角倉了以により富士川水運が開かれると、布施から釜無川を渡り、鰍沢・切石・下山と富士川の右岸を南下する道筋に変わった。また、富士川水運は、自給自足を旨とする封建社会においても、庶民の生産力を向上させようとする努力により、益々流通活動を活発化させていった。甲州からは主に年貢米が鰍沢河岸から駿州岩淵まで送られ、岩淵からは塩・魚干物が四日曳きで、生肴類などは三日曳きで登ってきた。ところが、この史料の鰍沢魚問屋と駿州荷主たちは、数日かかって富士川を登る曳船ではもはや時間に余裕を持てなくなり、五割増の賃銭で夜間の継立てまで意図して需要に応えようとしている。この史料は幕末の嘉永7年のものだが、すでに封建社会を内部から突き崩そうとする動きが胎動していたとするのはうがちすぎだろうか。
キーワード 鰍沢町,鰍沢河岸,運送,鰍沢宿,魚問屋,印章,屋号,河内路,商業,宿駅,駿州往還,富士川舟運,荷物継立,岩淵河岸,嘉永7年,名前
資料番号 0400185641
甲州文庫区分 古文書
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