カテゴリ /甲州文庫
請求記号 甲096.9-12
書名
甲府三度飛脚の記録
コウフサンドヒキヤクノキロク
著者名
甲府/作
出版地 甲府
出版者 甲府/コウフ
出版年 嘉永 5年
1852年
形態 形態1:竪 形態2:原 大きさ:24 枚数:7ツウ
注記 解説:甲府に進出した京屋弥兵衛は三度飛脚株を得て、天保7年(1836)道中奉行所に願出て、甲府から甲州道中を下諏訪に行き、中山道に入って京都・大坂への荷物(登せ糸)継立ての権利をえた。京屋は、さらに奥州の登せ糸までも、飛脚荷物として継ぎ立てようとしたため、内藤新宿との訴訟になった。この史料は、それに関わる3点の文書である。
内容紹介 詳細解説:京屋弥兵衛は三度飛脚株を得て、甲府に進出したが、天保7年(1836)道中奉行所に願出て、甲府から甲州道中を下諏訪に行き、そこで中山道に入り京都・大坂への荷物 (登せ糸)継立ての権利をえた。これは江戸を経由して東海道を継立てするよりたいへん有利であった。この輸送方法は、「間荷物」といわれているように、江戸と京都・大坂の荷物を対象としており、不定期に継ぎ送られる宰領荷物としておこなわれていた。ところが、奥州からの登せ糸までも、甲州道中で継ぎ立てようとしたため、内藤新宿と出入(でいり、トラブルのこと)となった。本史料は、天保7年の道中奉行所の許可状と、このトラブルの際の示談書(済口)及び訴訟の取下げ願い状の三部から成っている。この争点は、「間荷物」ではない奥州の糸は、飛脚荷物とはいいがたく、商用荷であるので「御定賃銭」では継ぎ送れないとする内藤新宿の主張にあった。結局京屋が内藤新宿の言い分を認め、商用荷は増賃銭を支払うことで示談となつた。本史料は、様々な制限のあった封建制度下でも、産業経済の進展と拡大は年々進み、より利益を得ようとして、効率のよい輸送路の確保を求めていたことが分かる史料である。(「甲府市史 史料編第
キーワード 京都,登せ糸,生糸,飛脚,京屋弥兵衛,運送業,嘉永5年,絹糸,交通,大坂,内藤新宿,流通
資料番号 0400196309
甲州文庫区分 古文書
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